マイクロライブラリー はじめ文庫の本棚から 第56冊目
『今昔物語集』 本朝世俗部 武石彰夫 訳注 旺文社文庫
このところ、『今昔物語集』を読んでいます。きっと古い字もことばにも慣れなくて、読めないかもと思い、マンガで読んでみたり、なるべく自分に分かりやすいように読んでいましたが、結局おもしろいので、通勤電車でも笑いながら読んでいます。
何がおもしろいかというと、これが900年前の話とはいえ、実際にあったことを、こんなことがあったってさと、面白く恐ろしくゆかいに語っています。昔も今も人は変わらないことを改めて発見しますし、当時の日本社会がどういう仕組みになっていて、どのように暮らしていたのか、人の日々の姿、心、本音がよく観察されています。時々ふ〜んとかへ〜とか、長い呼吸をして、わたしも少しづつ生き返っているかも。
『今昔物語集』が当時の説話を集めて本になった平安末期というのは、王朝の貴族体制が崩れ、治安が悪化し、新しい権力の武士の時代に転換している頃です。そんな時期に、貴族の被支配層であった身分の低い受領、官人、武士、僧、職人、農民といった人々が主人公である本が、初めてなりました。全31巻1060話。当時の全世界であった、インド、中国、そして本朝の構成になっています。すごいエネルギーです。
27巻の第13の話をちょっと。
「近江国(滋賀県)のあぎの橋に、鬼が出る話」
国司(地方官・政務を司る)の館で、若くて元気の良い男どもが宴会をしていたとき、誰かが、「あぎの橋を無事に渡った人はいないらしいよ」と言った。すると、お調子者の口から先に生まれたような男で、腕もいっぱしなのが、「この俺さまなら、鬼が出ようがなんだろうが、ここの殿様の名馬に乗れるなら、渡ってみせるぜ」と言ったので、集まっていた連中はますますけしかけ、近江守(おうみのかみ)も、馬ならいつでも与えてやると伝えた。男は本当は怖かったのに、みなに押され、言いだしっぺだしと、仕方なく馬の尻に油をたっぷり塗って出発した。
あぎの橋に到着したとき、陽も山の端に近くなり、人気もない。村里もはるか遠くになっていた。男はわびしく胸がつぶれそうになりながら進んだ。すると、橋の真ん中あたりに、人が立っている。
あれが鬼かもしれんと、男の心臓は怖さでばくばくした。よく見れば、うす紫の上衣に紅のはかまをはいた女が、口を手でおおって、なんともなやましく切なそうな目つきをしている。誰かに置き去りにされたのかもしれないと思うと、男は女が愛おしくもなり、前後の見境もなくなって、「馬に抱いて乗せて連れて行ってしまいたい」と、一瞬馬から飛び降りそうになった。しかし、「こんなところに女がいるはずがない。これはきっと鬼だな」とも思い、ひたすら気を取り直して、馬にムチ打ち、駆け抜けた。うしろで女が、
「もし、そこなお方、どうしてそんなにつれないの。せめて人里まで連れて行って」と言い、続けて、「ま〜あ、つれない〜」という声が、大地を揺るがすほどに大きく聞こえた。
女は走って追いかけてくる。男は、「やはり鬼だった。観音様お助けください」と逃げる。女は追いついて馬の尻に手をかけたが、油が塗ってあってツルッとすべった。男はやっとの事で逃げ切った。
その後、男の家では不思議なことが起き、陰陽師に占ってもらうと、たたりを避けるために厳重に物忌みをするようにと出た。門を閉じて家の中に閉じこもり、けっして外部と接触してはいけないというのである。それで男は、その日は門を閉ざして謹慎していた。
彼には弟が一人いた。陸奥守に従って、母を伴い、任国へ下っていたが、ちょうどこの物忌みの日に帰ってきて、家の門を叩いたのだった。「今日は会えない。物忌みなんだ。誰かの家を借りていてくれ」と伝えると、「母上がなくなったので、そのこともお話ししようと思っている」と弟の返事。まさか気がかりだった母上の死を聞くことになるとはと、男は泣き悲しみ、門の戸を開けて弟を迎え入れた。
兄弟はしばらくぶりに対面して、泣く泣く話しこんだ。兄の妻はすだれの内側に座って話を聞いていたが、話がどうなったものか、突然兄弟の取っ組み合いがはじまり、上へ下へともみ合いになっている。妻が、「いったいどういうことです」というと、夫は「枕元の刀をとれ」と叫ぶ。妻は、「まあ、気でも狂ったのですか」と言ったが、刀を渡していいものか迷った。「とれ。俺に死ねというのか」と夫はわめく。そして、下にいた弟は、今度は兄を下に組み敷いて、その首をぷっつりと食い切った。弟は、妻の方を振り返って、「うれしや」と言った。その顔は、夫が語ったあぎの橋の鬼の顔だった。
弟が持ってきた荷物は、実は骨やドクロであった。
その後、様々の祈祷を行い、鬼も退散して、今ではあぎの橋には何も出ないということだ。
と、こんな話でした。長くなり、時間とらせました、失礼。
田崎 敬子
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